僕はグリッドマンの新条アカネさんのことがなんだかずっと気になっている。
いやなんとも言えないシンパシーを感じている。
いやもうこれは明確に4話の影響なんだけども、どうしてこんなことになっているのか考えてみようと思う。
新条アカネさんはやっぱり現実である種のオタクの生きづらさが表出されている。
そう考えている。
じゃあどのような生き辛さなのか、これは前述の4話の合コンのときにアカネがキレがことに顕著に現れている。
まず、アカネがキレた理由の考察はぜひともこちらを参照してもらいたい。
http://hiyamasovieko.hatenablog.jp/entry/2018/10/31/024537
このブログでは、キレた理由を3つに切り分けている。
①会話を邪魔される②身体的スキンシップをとられる③アイコンをバルタン星人と間違えられるということだ。このブログだとオタクたちは③ばかりに気を取られているということが提言されていたが、僕はそうでもないと感じる。
というより自分としてはなんだか一緒に同じ目にあったような気がしてその瞬間めっちゃしんどくなったわけだ。
どうしてそうなったか。後々考えてみると一つのことを思い出した。大学の新歓コンパというやつだ。
大学に入ったばかりの自分は右も左もわからず、流されてなんとなく新歓コンパに行った。そこには何かよくわからんノリで話しかけてくる陽キャ・新入生の女の子に詰め寄っている陽キャ。オタクと判断して扱いを変えていじり始める陽キャ。
アカネの場合の②を直接受けたわけではないのだけど、自分のことを理解する気もないのに体だけを求めてくるのはマジで無理なのが分かる。そしてそれ以外も全部この新歓コンパのときに体験した。
そんな体験の後の自分は友達もロクにつくらず、暗い大学生活が始まるわけだが、アカネもそうじゃないかと思ってしまう。世の中の普通の大学生が楽しいことを楽しいと思えない退屈な世界。性別も違うし、大変不遜だと思うが……。
アカネにとって普通の人のノリなんて退屈に過ぎない。例えばボイスドラマ3.3話のでもでも~というノリなんて最悪だ。あんなその場限りで、薄っぺらくて中身がなくて、誰かをバカにしているものが存在していることに意味があるのだろうか。
対してアカネにとって好きな特撮の世界こそ彼女のリアルだ。楽しくて意味があって退屈な世界から逃避させてくれるもの。
そうアカネが怪獣を生み続けるのは現実逃避だ。怪獣を生み出すことで現実の見たくないものをなくすこともできるし、グリッドマンが来てくれる。現実における排除と夢の特撮世界に入ることが両方可能にしている。5話を見てみても意図的に特撮の悪役を演じていることが明らかだ。
退屈潰しに怪獣を生み出し続けるアカネ、彼女が真に退屈から救われる日が来るのだろうか。
一歩間違えればアカネみたいになっていたんじゃないかと思う僕は、アカネが救われることで、自分の一部もまた救ってもらえるんじゃないか、そういう幻想を抱いてしまっている。
コメント
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