近年esportsがどうのこうのと言われてなんだかもやもやする気持ちがあるので
まぁそれを言語化してみようと思います。
というわけでいくつかの要素に区分けしつつ書いていこうかなと思います。
1.どうしてスポーツにしなきゃいけないのか
ESPORTsの話題が紹介されると必ずでてくるのがスポーツと遜色ないみたいな話。個人的にはスポーツって昔の経験からあんまり好きでなくて。そのスポーツという単語からはどうしても部活的で体育会的なものが存在していて、それとesportsが一緒だと言われてもどちらかというと嫌な気持ちになってしまう。
スポーツとかってどうしても上手い人が偉いっていう世界がある程度存在していて、その中でただエンジョイするために遊ぶっていうのは、現行の部活という制度を土台としたスポーツの環境では難しい。
それに対してゲームって例えばFPSを例に上げると、野良として一人で遊ぶのも楽しいし、友達と勝利を目指して連携して戦うのも楽しい。基本ゲームというのは楽しく遊ぶものっていう認識があるから、色んな人がどう楽しむのかなんて多角的でいいと思うし、その一面として世界で一番強くなるといったesports要素があってもいいと思うのです。
だからゲームはスポーツなので上手くなることが良いのだというよりも、ゲームをゲームとして上手くあることに価値があるようになればいいのに。結局esportsをスポーツして見ていくとゲームがうまい人が偉くて、ただゲームエンジョイしてるだけの人に対するステレオタイプの偏見が助長されそうな気がしてしまうのです。そしてこの断絶があるかぎりesportsが海外のように市民権を得ることもなく盛り上がることもないんだろうなと思う。ゲームをゲームとして見て、良いプレイを楽しむ。そのためにはそのゲームのプレイヤー自体も増えていかねば意味がないから。
2.健全性という名のもとに
次には健全性という話をしようと思います。esportsはこれまでのゲームとの差別化として健全性ということを標榜している気がします。大会に参加する人がオフライン大会に出て、
優勝者を決めるようなものを想像されているかもしれません。
でもゲームってオンラインでも大会ができるわけです。顔を出さなくても大会で優勝者を決められる。普段あんまり外を出ないような人でも大会に出ることができる、どんな人でも大会に出ることができることがゲームの強みの一つだったはずです。
健全性という名のもとにオフラインに限ってしまうと本当に公平な大会と言えるでしょうか。ゲームの強みを健全性が潰してしまうのではないかと思います。
無論プロゲーマーなどが生計を立てたりするには、マネタイズってことも必要なので、健全さが必要なのかもしれないのですが。
またゲームに健全性を求めるということは銃を撃ち合うようなFPSはesportsとして認められなくなるかもしれません。競技性が高いのにesportsにならないことが起きるかもしれません。
自分が好きなゲームが健全性という理由で選ばれないのはそれでいいのかと思います。まぁ自分はFPSに健全性がないとは思っていませんが。
最後に
ゲームがesportsとして発展していくことはそれはそれで良いことだと思いますが、esports=ゲームという認識が世間に広まらないといいなと思います。
ゲームをいろんな人間が娯楽として楽しむことができればと思います。自分もゲームが好きな人間なので。
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