劇場版少女歌劇レビュースタァライトの話

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アニメ

今更という感じなのだけど、劇場版少女歌劇レビュースタァライトについて書いていこうかと思う。

どうして今更書くのだという話なのだけど、どうしても画面の子細とかオマージュとかについて書いて収集つかなくなりそうだったので、そういうのと少し距離を置いてかなり自分の話に近づけて話していこうかと思う。

星見純那について

劇場版のスタァライトを読んで一番印象的だったのは、進学というものの強制力というか脅迫性みたいなものだった。劇中では次の駅へと進むことに表象されるわけで、その強制力のもと未来に向けてしっかり考えているひともいれば、目標を失っているひとの姿が描かれている。これはまぁかなり個人的なものに結びついてくることなので、今日はその辺を書く。

序盤の進路指導のシーンではそれぞれのスタンスが提示され、人によっては国立劇場や海外留学などなど様々だが、何より個人的に衝撃的だったのが、星見純那だった。

何せ私が4年間籍を置いていた大学・学部のような名前がそこにあったから。

瞬間、少し遠くない記憶が喚起される。門からキャンパスまで坂や映像系の授業に潜ってみたときの感じ、知り合いがやってるから見に行った地下にある小劇場。自分はまったく演劇とかそういうものに関わってないわけだが、そういうものを横目にはしてきた。だからこそ純那が聖翔音楽学園で経験してきたキラメキには叶わないし、もっと違う舞台があるように感じたわけだ。元々入学するのが厳しい聖翔に比べてしまえば、ソコなんて全然入れるところだしもったいない。

まぁ無論大場なながレビューの中で激しく責め立てるわけだが、その最中の私はかなりキリキリとした感覚になっていた。

なぜなら私自身が進学の時に色々と勉強に身が入らず、まぁまぁで入ったのがソコだから。

元々国立志望だったわけだけど、受験勉強中も適当に遊びにいったりしてたし、まぁ受からなくても私立のここは行けそうだし進学はいけるかぁ~ぐらいの感覚だった。無論第一志望としていたところには落ちたけど、受かるか~みたいなところには行けるしまぁそこでも研究したいことはできそうだからいいかなという感じ。

純那がいろいろ勘案しつつも、大学進学に置きに行くというような感覚がめちゃくちゃ分かってしまう。進路指導の時にもったいないな~とか思った癖に…。

だからレビューでななに対して自分の信念を確固としてぶつける純那には良かった。テレビ版から感じた偉人の言葉を引いてくる際の知識で自分の自身のなさを補強しているところから、やっと独立したように見えたから。これからは自分のやりたいようにやるのではという確信があった。

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最後に

星見純那が未来に向けて歩みを進めたことは大変喜ばしいとともに一抹の悲しさを個人的には覚えてしまうのだけど、上手くやってくれるといいな。

私は易きに流れるままだけども、まぁそれなりにやっていくしかないと今は思っている。

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