現実とコンピュータワールドと夢の間で グリッドマン9話 考察&感想

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アニメ

今回はグリッドマン9話のお話。

9話はアカネが夢を利用して操作することで、グリッドマン同盟と友達・恋人になれたらっていうお話。夢の中で裕太たちに夢と見破られ、アカネはまたしても破れてしまいます。

 

今回見ていて気になっていたのは随所に実写っぽい背景が出てきたこと。アカネのシーンに出てきてて、特にこのシーンは今回を象徴するシーンだと思います。(下の画像参照)

 このシーンってすごく印象的で画面の立ち位置や動きでキャラクターの置かれている状況を示しています。裕太側は立ち位置として右側、アカネは左側にいます。

 これは舞台における上手下手論によると、右側は強いものがいる場所で左側は弱い人がいるという印象を与えるということらしい。例えばバラエティ番組で司会は左でゲストが右にいるということだったり、マリオが左から向かっていき右にいるクッパを倒しに行くということが挙げられる。つまり裕太たちが安定していて、アカネはすごく不安定なものとして提示されているわけです。

 また、裕太達は全速力で疾走しているけどもアカネは全然に前に進めていなかったりするように、ここまで神様の立ち位置だったアカネが一転して弱い存在として印象的なのがこのシーン。

そしてもう一つ対比的なのが前述した背景。アカネは背景がほとんど実写みたいで、対して裕太はすごくアニメアニメした背景なんですよね。こう見てみると現実世界(実写)で傷ついて動けなくなったアカネに現実逃避した先のキャラクターたちが救いの手を伸ばそうとしているようにも見えます。

そう考えるとEDの背景が実写っぽいのも意味があるような気がしてくる。夢の中の六花とアカネのシーンだと二人共EDの制服に変わっています。つまり二人共現実世界ですでに友達だったのではないか。(EDに描かれているようなシーン)それが何かしら崩壊してしまったから、アカネは現実逃避として新しい世界を作ったんじゃないだろうか。なのに新しく作った世界では裕太と六花が付き合い始めようとしたので、裕太の記憶を消した。そして夢の中でだけは現実の時のように再び六花とアカネが仲良くなろうとしている。

そう考えると一連の描写がふと腑に落ちるような気がしています。

まぁこれは一人のオタクの妄言ではありますが、こう考えると自分としては納得できるなと思っています。

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まとめ

グリッドマンの9話自分はアカネをずっと注目して見てきてたのでボロボロ泣けてしまっていたわけですが、冒頭のキービジュアルの「独りじゃない。いつの日も、どこまでも 」って言葉が突き刺さる回でした。

残りの三話、どんな風な展開をするのか、目が離せないですね。

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