Twitterとサードプレイス 居心地の良い空間について考える 

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 今はどうかは分からないが、ある程度Twitterがめちゃくちゃ居心地がいい空間であるように感じた瞬間があるのではないだろうか。そういうのを求めてやっている面もあると思うし。Twitterをすることで、仕事から離れてTLにいるフォロワーと空リプとかして、ゆるく同じような話題を投げる。そういうことに居心地の良さを感じるやつである。

 そういう居心地の良い空間というものに対する研究として「サードプレイス」という言葉がある。今回はその「サードプレイス」を手掛かりにTwitterの居心地の良さとどうやったら居心地が良い空間が保てるのかということを考えようと思う。(所々ガバいところもあるかもですがご容赦を…)

サードプレイスとは

 「サードプレイス」とはアメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが著書 THE GREAT GOOD PLACE(邦題『サードプレイス』)で提唱した概念。「サードプレイス」は人々が日々の生活の中で多くの時間を過ごす自宅(ファースト・プレイス)や職場・学校(セカンド・プレイス)に次ぐ第三の居場所のことで、そこにいくことでストレス 源 からの 逃避 や 息抜き をはるかに超えた意味(仲間や人間関係)を与えてくれるというものだ。この本だと居酒屋やカフェなどで、よくいる常連たちと自由に歓談するといったことを例として挙げている。

 現実とは離れたところで、いくつかの顔見知りみたいな人たちと冗談をいったり、話したりしていると楽しいし、そういうのは生活において思ったより重要な意味があるよねという議論だ。

 この本が書かれたのが80年代ということもあって、インターネット空間についての言及はないのだけど、その後にネット空間・SNSに展開して言及しているようになっている。『サードプレイス』で示されている特徴とTwitterを比較すると明らかなので本の中で示された特徴について列記していこう。

  • 中立の領域
  • 人を平等にするもの
  • 会話が主な活動
  • 利用しやすい
  • 常連の存在
  • 遊び心がある
  • もう一つの我が家

サードプレイス は 中立の領域 に存在 し、 訪れる 客 たち の差別をなくして社会的平等の状態 に する役目を果たす。こうした場所のなかでは、会話がおも な活動である とともに、 人柄や個性 を 披露し理解するための重要な手段となる。

レイ・オルデンバーグ; マイク・モラスキー. サードプレイス――コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 (Kindle の位置No.1438-1440). (株)みすず書房. Kindle 版.

 つまり誰でもアクセスできて、平等な立場として会話ができる空間であること。また会話するのが楽しいく、常連がいつもいるので訪れればすぐに楽しむことができる自分の心の拠り所になる場所ということだ。こう比べると冒頭のTwitterの居心地の良さと同様と考えることができると思う。

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常連について

 さて『サードプレイス』の中で興味深い話が、常連についての項目にある。これは居酒屋などにいるのはすべて常連だけでなく、新参者もやってきて新たな常連になっていくよねという話だ。この新参者の受け入れはサードプレイスの活力につながり重要だが、簡単に入れるものではない。サードプレイス内に既にいる常連に認められないといけない。

 これをTwitterで考えてみると、RT(常連と一緒に来た新入り客)されたアカウントなど新しいアカウントは自分のTL(空間)にそぐうのか良く吟味するべきだということ。また場を乱すRTするアカウントは対策したほうが、自分の居心地の良い空間になるということではないだろうか。もちろんメンバーが固着してしまって変わりがないのもサードプレイスとしての活力がなくなってしまうのは同様だと思うので、新しいメンバーを迎えるのも大事だが。そして自分のTwitterで場を乱すアカウントが出てきたならば、できるだけミュートなりブロックなりでできるだけ自衛したほうが良いだろう。

「サードプレイス」とTwitterの違い

 この議論をしていく中で、居酒屋などの場所とTwitterとの大きな違いは物理的な壁が存在しないことだと考えている。居酒屋とか物理的なスペースがあって中の会話が外に漏れることはあんまりない。対してTwitterはそのような壁は全くないし、ある程度これぐらいに見られてるだろうというフォロワーの範囲みたいなものをRTによって軽く飛び越えてしまう。 これだから身内の居心地の良い仲間内で言ったつもりになっている言葉が外の人間に切り取られて炎上等々につながっているんじゃないかと思う。

 これまで大量のRTなどはバズといって肯定的にみられる向きもあったが、それが起きることで思ってもみない人に触れられ、思ってもない反応がおきるようになり、Twitterの居心地の良い場所という特徴からは離れていってしまっている。

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まとめ

Twitterの利用者の中で結構な人が、仕事とかそういうものの居心地の良い逃避先としてTwitterを使い、趣味などからゆるく人とつながっているんじゃないかと思う。自分もそんな感じだだったので、昨今の他人に攻撃的な言説がRTで目に触れてしまったりして、なんだか疲れてしまうという状況に辟易して、体調もよろしくなかった。

 そういう状況で今回は居心地の良い空間ってなんだっけという観点からTwitterについて考えてきたのだけど、結論としては自分の精神衛生上問題ないようにフォローしてるアカウントの整理とかをするのも良いと思う。自分の主張をRTやツイートにに仮託して場に流し続けるのはそれはそれで場を乱す行為であるので、ミュートやブロックもやむなしではなかろうか。

 最終的に当たり前のことに落ち着いたのだけど、自分も整理してからは結構精神衛生がマシになってきている感覚がある。とはいえこれも一時的なもので、色々極まってきたらいよいよマストドンみたいなある程度の集団は担保しつつ外からは取り沙汰されないようなSNSに人間は流れていくような気もする。それがある意味一番居心地の良い空間であるはずだから。

まぁそんな未来のことは分かりませんが、現状のTwitterライフが少しでも良くなることを願いつつこの文章もおしまいにします。

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